そのうち笑い話になるさ

得意分野は90年代の土曜9時ですが、22年目の話題にもできる限り迫っていく所存です。

V6における剛健の意義

20周年に入り、あからさまにV6の露出が増えた。


もうずいぶん長いこと彼らを見てたV6好きとしては、喜ばしい限り!
これを機に、少しでもV6というグループの魅力に気づく人が増えれば幸せだ。単体もいいけど母体もね!

しかしこの20年という数字、実は大変「危うくも絶妙なバランス」の元に成り立とうとしている数字なのである。我々はそのことをよく知っている。だから20周年が、とてもとても、うれしくって、ありがたい。

20周年の節目に伴い、彼らから「過去の苦労エピソード」が語られる機会が多くなった。鉄板ネタは「デビュー当時CDジャケットのトニセンがめちゃくちゃ小さい扱いだった」ことと「オカダのオーディションの審査員は剛健だった」ことだろうか。特に前者は坂本さんやイノッチの巧みな話術によって、安定感抜群の自虐ネタとなっている。自分も卑屈なので、気持ちはよくわかる。どんな悔しさも、そのうち忘れるし、笑い話にできるのだ。だてにトニセン、毎週ラジオで自虐ネタばかり話していませんね!

ところで、である。

本日発売のスポーツ報知で、井ノ原さんがデビュー当時のトニセンとカミセンとをつなぐ中間管理職をしていた頃の話をしていた。しかし一部、どうも違和感がある。デビュー当時の剛健人気の凄さ、自分だけうちわが無かった過去を語った直後である。

「森田とか『どうせおじさんだろ』と言って坂本クンらをなめていましたね。それに剛・健が(中略)岡田に冷たいですよ。その時審査員だった2人が『俺らが選ばなかったら、ジャニーズはお前を取っていないんだぞ』ってな感じで。(ジャニーズ)Jr.の経験なしでメンバーになったことがしゃくだったのでしょうね。岡田も“実家”に戻ってきたら、しっかり末っ子になってます。偉いヤツです。」

イノッチってあんまり他人を下げるような発言をしない人だと思っていたので、ここの書き方だけ妙と引っ掛かった。もとい、地味にショックだったのだ。それもちょっとお兄さん目線で、困りものの弟たちとして語ってるとこが絶妙にムカつく(笑)。あんただって相当とんがってたし、ケツ出してたろう(笑)。たぶん、笑い話として温かな声で、イノッチは語ったのだ。しかし活字という媒体が読み手に与えるイメージは意外と冷たい。仮に事実としても、このまま「問題児としての剛健イメージ」が歩き出すのは忍びない。というわけで、カミセンを愛してやまぬ私めから勝手に、剛健を弁護させていただきたい。


デビュー当時、同期や先輩たちからの重圧(それは負の感情のほうが大きい)は尋常ではなかったろうし、ろくに話したこともないようなベテランシニア、しかも一人は伝説のマサと、大阪からやって来たド素人、これとグループ組めと決められた剛健が、ひとつも苦労していないわけがない。当初チーム内で気心の知れた味方だと思える人間が剛だけ(健だけ)という状況は、過酷だったろう。推定14歳の健がデビューの話を振られたときに「剛が一緒じゃないなら、やらない」と断言したこと、これは大変に興味深い。当時、剛健コンビの人気は凄まじく、なかでも森田はその持ち前のカリスマ性もあって、ジュニアでトップクラスの人気があったらしい。森田が同じグループに居れば三宅が1番手になれないのは明白だ。しかし三宅は、森田が必要だと言った。自分の人気だけでは「グループとして長くはもたない」と自覚していた可能性がある。あるいは、本当に知らない者ばかりのグループにひとりで加入するのは怖かったのかもしれない。単純に剛が大好きで、剛と一緒にデビューするのが当然と考えたのかもしれない。いずれにせよ、三宅のその判断は全くもって正しかったことになる。

二人にとって歳の近い、明るく楽しくおバカでやんちゃな井ノ原という存在は本当に頼もしかったろうし、坂本長野にとってもまさに剛健との連絡船、イノッチはV6の命綱みたいな存在だった。剛健による「イノいじり」は感謝と愛情の裏返しであり、ちゃんと理解した上で二人を楽しませようと「いじり」に全力でノリ続ける、井ノ原という男の男前さたるや。

また、剛健がグループで唯一の後輩であるド素人のオカダを“超可愛がった”辺りのエピソードはどれを聴いても泣けてくる。結成当初こそ井ノ原の論調は正しかったかもしれない。しかし、剛健はオカダの面倒をよくみてくれている。他のジュニアやキンキも含めて同じ合宿所に暮らしてた三人だが、上京したてのオカダにパンツやテレホンカードをあげて(それまで全く遠慮せず三宅のパンツ勝手に履いてたオカダの話も合わせて素晴らしい。)トイレ流せよ!納豆食えよ!と指導し、洗濯までしてあげたのは三宅だし、オカダと夜食の作り合いっこしたり、寝てるオカダにパンやお菓子を与えて遊んでいたのは森田である。つきっきりで粘り強く踊りを教えたのも剛健だし、さらには剛健そろってオカダのお尻を噛んでは遊んだ仲である(この辺りは「初めて後輩ができてうれしかったから」とのことである。なお、オカダはこの件に関して「でも、いつからか噛んでくれなくなった……。」となぜか淋しそうに述べている。)オカダの生真面目さと器用さと賢さもあって、彼が自身の立場を見極め、カミセンがカミセンというチームとして機能し始めるのに時間はかからなかっただろう。

上から説教、同期から妬み、後輩はすっとぼけ。周りは業界の大人たち、過激なファン、エトセトラ、エトセトラ。あの構図で、よく剛健はグレなかったなと思う。まあ、それに近いところまでは行ったかもしれないけど、よく堪えてくれた。

このほかにも、カミセンの仲良し話なら、枚挙にいとまがない。livvvvvve.hateblo.jp

バラエティではお決まりで「保護者トニセンの苦労話」と「オカダのシンデレラボーイ物語」ばかりが論じられる。なぜなら日本人は「弱者が努力で強者を乗り越えるサクセスストーリー」が大好きだからだ。しかし、その影には、例えどんな苦労や努力を重ねてきたとしても、画面ではそれを微塵も感じさせない「プロフェッショナルアイドル・剛健」の存在があったことを、V6ファンは忘れてはならない。剛健は苦労や努力の影を隠すのが、本当に上手い。そのぶんちょっと損してる気もするけど「決して媚びない」のが剛健の格好良さだ。

6人のうち、どの人物が欠けていても、このグループは20年続かなかった。
私は、そう信じて疑わない。

こうしたことは我々V6ファンの間では当然の認識と思っていたのだが、一般の人からは「へぇ~」とか言われるものなので、とりあえず思いつくまま語ってみました。こういう「当人たち以外からしてみたら心底どうでもいいこと」を熱く語るのはとても楽しいものです(((o(*゚∀゚*)o)))