ゼロからキミになればいい
ビーユアセルフ終わりに6人がマイクを置いて、V6ファンがすべてを察したところが最高潮に面白かった。マジ尊い(まだ言ってる)
— じきどう@夏休み (@jikido_t) November 24, 2015
ベスアー2015から一夜明け、正直、まさかまさかのビーユアセルフでバク転よりも入口出口田口の件が気になってしまっている。KAT-TUNファンの方のブログを読ませていただき、まるで自分のことのように気持ちが沈んでしまっている。なぜか、と考えてみると、これはやはり完全なる他人事、ではないからだ。アイドルという虚像を追いかけている者にとっては多かれ少なかれ、関係している一大事だったからだ。
正直言うと、かつて抜けたお二人のときは「まあ、しょうがないよな」と思ったのだ。いろいろあったもんな。でも田口くんはどうだろう。人生の分岐点とはいえ、辞める、という決断に結び付くようなことだろうか。そういった意味で、あのベスアー会場での発表は、まさに青天の霹靂であった。しかもなんか、田口くんは清々しくにこにこしてるし。中丸くんの顔を見てりゃ、円満で爽やかな別れではないことが明らかだ。
「取り残された側の気持ち」というやつは、まだ、完全には理解しきれていない。そういえば、2007年のイノッチの件でとてもよく似た気持ちを味わった。あのときは私もやり場のない憤りにムカついた*1し、泣いたりもした。しかし、あのとき井ノ原快彦の脳裏に「脱退」という言葉は、微塵も浮かんでいなかったのだと思う。心のバイブルだったイノなき*2が終わるときだって、日課としているものは、辞めるほうが大変なんだ、みたいなことを彼は仰っていた。
きっと、デビューまでの苦しさが昔の笑い話としてほいほい出てくるトニセンは、V6を守ってくれる。
それに、V6には他ならぬ、三宅健がいる。正直、彼がそこまでV6が大好きで、V6をとても大切にしてくれているとは、ブログ掲載の写真*3を見るまでわからなかったなあ。かつてカミセンの愛情表現とは、まるで青臭いガキんちょのそれで、とてもとても、わかりにくいものだったから。今年のV6の大活躍の立役者は、三宅健だと思う。ここ数年の三宅健の頼れる安心感は半端ない。岡田は10周年の頃から、随分変わってくれた。さすが、いい仕事で自信をつけた者は心に余裕がある。
うーん、強いてね、強いて言うなら森田さんが最も危ういような気がするけれど(数年後に最悪、俺が居なくても~みたいなことをたまに仰る、)でも、まあ、大丈夫だろう健ちゃんが居れば。
などと、どうしても再確認せずにはおれない。
私たちは不安と共に歩んでいる、それを思い出してしまった。
「6人そろってV6」が20年続いて当たり前になっちゃっているけど、誰ひとり、道を違えなかったのは、奇跡を越えた結びつきだ。今夜いつも通りふざけるV6を見られるということに、こんなに感謝したことってないよ!
— じきどう@夏休み (@jikido_t) November 24, 2015
あの微妙極まりない空気の会場で、10年前に公言した「10年後も全員でバク転」をさらっと叶えて去っていった6人。言ったことは果たすV6だ。21年目もがんばるよ。その言葉を、信じてついていくしかあるまい。「SINCE 1995 ~ FOREVER」ツアーグッズのTシャツに燦然と輝く文字は、だてじゃないぜ。
脱退者が出たグループは脱退に慣れてしまっているのでは、という考え方もあって、なるほど斬新だったな。あのときあの場で、ジャニーズ以外のアーティストも集う場で発表したのはなぜだろう。発表しなければならなかったのはなぜだろう。もっと他の方法はなかったのか。なぜ亀ちゃんが唇を震わせてまで謝る必要があったのか、不思議でならない。ただ、きちんとファンに謝ってくれる、そういうメンバーがいるKAT-TUNというグループは素晴らしいと私は思う。
詳しいわけではないけれど、良質の特ソンとして認識している「BIRTH」をがんがん鳴らして今日も寝よう。