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そのうち笑い話になるさ

得意分野は90年代の土曜9時ですが、22年目の話題にもできる限り迫っていく所存です。

なきにしもあらず散文

考えたこと

おもしろい文章が書けなくなっている。

ちなみにここでいうおもしろい文章というのは、上手い下手ではなく、あくまで自分が後から読み返して、このときは阿呆だったとか、このときは冴えていたとか、そういう感想の持てる個性的で痛快な文章のことだ。他人からどう思われているかは別のもの(ひょっとしたらそれでも私の表現するものが好きだと仰ってくれる人も広い世の中には居るかもしれないし)として話を進める。*1

いつからか自分の書く文章をつまらないと感じるようになった。

どうも当たり障りのない、普遍的なことばっかり言ってる気がする。そしてマンネリ化する。必要以上に他人様の目を気にするようになったというか臆病になったというか、ある意味では賢くなったのかもしれない。この傾向は、就職して以降、顕著に現れている。ただの保身だろうか。単に自分が年老いたせいもあるし、インターネットの普及も大きく関与している。

昔はネット上で好きなタレントについてあれこれ言える場所というのは限られていて、とりあえず自分はこう思ってるからこうなんだ!と表現して、それで終わりだった。たまに反応がもらえることもあったが、多くの場合は自己満足だ。特別な自分だけの場所で、真っ暗い大きな穴に向かって叫ぶようなもの。技術も未発達で、見返りのほとんどない発信だった(読者人口も少なかったと思う)せいもあり、こうした言論(創作)活動にかなりの時間を費やす人間なんてのはよっぽどの物好きで、稀だったはずだ。

ところが現在、SNSの普及によって、ほとんど全ての人間が、一人一人、各個人の見解を表現するようになっている。それが悪いとは言わない。物理的距離など関係無しにテレビを見ながらリアルタイムで実況する夜は熱い。今さらツイッターやらラインやらの無い世界には戻れまい。

誰かの呟きは他愛ない話や無意味な情報もあるが、物語であれイラストであれ論評であれ、自分に気づきを与えてくれるような表現、または自分の見解に限りなく近い表現に出会う機会が、もう、圧倒的に増えた。そして欲が満たされる。言うなれば同調欲、とでも言うべきか。言ってもらってすっきり。自分はこうなんだ!と思っているが、他の誰かが先に(それも自分とは比べ物にならないほど優れた技術で)表現してくれているのなら、別に私がやらなくても勝手に気持ちが満たされる。

これなのだ、ここ数年の私の憂いは。その技術を持った誰かへの当てつけや嫉妬などでは決してなく、ほんと、私がやらなくても世界は廻る、満たされる、受け取るほうが楽で、落ち着いてしまう。だって自分より上手い誰かがやってくれるなら、それに甘んじて乗っかったほうがいいでしょ?

まとめるとこうなる。

・歳を取って自分の力量を思い知ったこと
・他者と直接意見を通わせる機会が増えたこと
・磨耗を恐れてことなかれ主義になったこと
・ネット上で感銘を受ける文章や創作が増えたこと
・私がやらなくても世界は廻って満たされるはずだ、という受け身の意識

私が自分の書く文章をおもしろく感じなくなったのは、こんなところが原因ではないだろうか。あと、本を全く読めなくなったのもあるかな。スマホ画面ならいくらでも読めるのに、紙媒体だとてんで頭に入ってこない。他者の意見にガラッと世界観が変わるようなきっかけも見つからない。見つけられない。ま、この歳で世界観がぶれぶれなのもそれはそれでイヤだな。総括すれば、歳取ったな、って、ことですかね。

ところでなぜ新年からこんな文章をだらだら書いているかというと、これは言わば、決意表明である。

誤解なきよう強調すれば、今回の話の核はここにある。私は現状の私をあきらめてしまったわけではない。書きたいんですよ、おもしろおかしい文章を。誰もまだ(少なくとも私の目の届く範囲ではまだ)表現していないことなら、意欲だってけっこう残っている。いくら懐古厨と呼ばれようが、いつかはやるよ、90年代のV6考察。やるよやるよ詐欺。なんだかんだで自己顕示欲は衰えていないのか、現段階でブログやSNSといった自己表現の場所を五ヶ所も構えておきながら、ちょっと仕事面含めた発言ができる新しい場所を構えようかな、なんてことも思ったり思わなかったりするのである。

話は飛びますけど、自分ほんと2004年頃の、いい感じにやんちゃと兄貴らしさが同居してた井ノ原快彦の書く、読み手を楽しませることだけにステータスを全フリしたような文章(イノなき)がものすんごく好きだったんですよ。今でも心のバイブルだし、ああなりたいという強い憧れがあります。

*1:ちなみに当ブログは、別の場所で書いたメモのうち、まともそうな話題や特に頑張って書いた話題を後で読み返すための、備忘録の色合いが強い。普段はここに輪をかけて中身のない話ばかりしている。