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そのうち笑い話になるさ

得意分野は90年代の土曜9時ですが、22年目の話題にもできる限り迫っていく所存です。

夜中に犬に起こった奇妙な事件その2(証明終了!)

探偵と言えば野田涼介にも一応、理系だという設定があったような気がする。この流れで喰いタン2を見たら、やっぱりかっけーんだか、ダサいんだか、かわいいんだか、わかんねーなという気持ちになりました。笑

「夜中に犬に起こった奇妙な事件」無事に千秋楽を迎えられたとのことで、大変お疲れさまでした。大好きでした。これまでにも幸運が重なり、ありがたくもV6の登場するお芝居を直に観させていただく機会が何度かございましたが、こうもツボを突かれて心を刺激されたのは「ゾロザミュージカル」以来の「夜中に~」です。本来自分の観劇期間が過ぎてしまえば舞台の余韻を長く引きずることなど無いのだけど、犬事件はあまりに好きだったので今でもパンフを読み返してニヤニヤする始末。彼はもちろん、全体的に雰囲気がとても好みでファンタジーで。15歳の幸人に、なぜ平成生まれの誰かでなく、あえて彼を当てはめたのか、その真意を探っていきたい。

(感想と考察を思い出したものから追記加筆中)



・あらすじ

1幕
アスペルガー症候群(自閉症の一種)を患う少年・幸人は隣の庭で、隣人である佐久間婦人の愛犬ミロが死んでいるのを見つける。犯人と疑われ警察に連れて行かれるが、父親の説得で釈放される。幸人は担任の瑛子先生に宣言をする、犬を殺した犯人は僕が捕まえると。父親の制止をかわし、近隣住民に聴き込み調査をしていく中で、幸人は佐久間のおじさんを犯人と思い込む。ところが、父親は佐久間の名を2度と口にするな、事件に首を突っ込むなと激昂する。そして老婦人の証言から、佐久間と幸人の母親は不倫をしていたことが発覚。また、父親に取り上げられた「この物語を書き記した」ノートを探すうち、死んだと聞かされていた母親から届いた大量の手紙を、父親の部屋から見つけてしまう。それに気づいた父親は、実は2年前に母親は佐久間と駆け落ちをして共に暮らしており、佐久間夫妻への憤りのはずみで犬を殺したのだと幸人に自白する。

2幕
犬を殺したのだから、僕も父親に殺されるかもしれない。幸人はペットのネズミ・ボーボを連れて、家から逃げることを決意する。目指すのは、母親からの手紙の差し出された住所である西葛西。数学の才能を生かした独自の知恵を使いながらお金を用意し、新幹線に乗り、父親と警察の追随をかわして、静岡から西葛西へ到着した幸人を母親は温かく迎える。遅れて到着した警察や父親を幸人は拒絶し、母親は幸人と住むことに決める。静岡に帰らなければ、幸人が受ける予定の数学検定は受験できないが、母親は受験をあきらめるように言う。受験したくて喚く幸人。また、一筋縄ではいかない幸人に佐久間は苛立ち、ついに母親は幸人を連れて静岡の家に戻る。幸人は受験し、拒絶し続けた父親も、父親が与えた生後2ヶ月のラブラドールを機にして受け入れられるようになる。修復にはまだ時間がかかるが、希望の見えてきた両親と幸人。試験にも無事合格し、幸人は瑛子先生に将来の夢を語る。



・役者と演出について

森田さん、話し方だけじゃなくて、例えば靴紐をきっちりと長さを揃えて結ぶだとか、新幹線内の公共のトイレのドアノブに直に触れなくて手を袖に仕舞ったまま触れるとか、水洗に1回驚くとか、ハンカチのしわをぴっちりきれいに戻して畳むだとか、細かいところも凝って作っている印象です。犬と戯れ(ラストの本物ラブラドールはもちろん、ミロの亡骸を抱きしめるところもゲンタに近寄ってくところも素晴らしかった)汽車と遊び、ピンクのパーカーは、ともすればアイドルのイメージビデオみたいな内容ですが、宇宙の向こうの定義や、三角形の証明や、基数の二乗を暗唱(1度目の観劇で「1 4 6 9 16」間違えたのでたぶんガチ)してみせたところには敬意を表したいし、ひき込ませる魅力に溢れる役柄だったと感じます。なにより普段より声が高めで、ちゃんと15歳っぽかったことに驚愕。あんなに渋くなって諦めかけていたけど、少年っぽさまだまだいけるじゃん。やっぱりV6ってすごい!

ほぼ全ての役者が舞台上に出ずっぱりの3時間、しかも椅子に腰掛け待機中もいちいち役柄でリアクションを取る演出、それが二回公演。本当にお疲れさまでした。木野花扮する老婦人が出てくるとほんわかして安心したし、入江雅人扮する父親も(原作では彼に同情しながら読んだので)1度目こそ恫喝がキツくてイメージが異なり、ちょっと怖すぎると思ったものだが2度目は別の角度から観て、特に最後のタイマーを置いて話す場面で好きになれた気がする。母親の高岡早紀はどことなく洋画チックで色気があって良かったです。演者で最も心ひかれたのは実は瑛子先生で、やや低めで落ち着きのある声が好きだ、朗読パートはまるで少年のようで素敵だなあと感じたのですが、小島聖が3年前に観劇した「ラブリーベイベー」の「あの女性」だったとは、2度観て全く気づかず、帰りがけ指摘をもらってマジでぇ!?と思わず声が出た。女優さんってすげえ。

舞台のセットは教室固定ですが、椅子20脚と机2台、扉枠、あとは人力(笑)でほぼ全ての場面のセットを表現します。椅子で作った階段や新幹線車内はいいとして、椅子ATMがお気に入り。椅子と扉枠の使い方は基本に忠実で勉強になった。人力エスカレーターや人力自動改札機はクオリティが高かったなあ。観客にも想像力が求められますね。こういう、空間の限られた舞台独特の創意工夫、大好きです。標識や広告の文字情報や音声情報に畳み掛けられるところも原作のイメージそのままに好きだったところです。この世の中(特に都会の駅周辺)は、与えられる情報が多すぎる……現実から遊離した宇宙と生演奏のピアノの相性は抜群で、人力によるアクロバティック宇宙遊泳は森田さんの身軽さと経験(さすがカミセン、だてにトニセンに持ち上げられていないわね!)の賜物です。そのときの楽しくてたまらないような表情が見事だった!



・原作との相違点

舞台が日本に変更されたところは非常に上手く昇華されており、それ以外で重要と感じた変更点と言えば、父親が幸人の手伝いをしたこと、瑛子先生(シボーン先生)が主人公の書いた物語を芝居にしようと提案したことです。前者については、結果的に、普段から父親が愛情をたっぷり持って幸人に接していたことを暗示しておりましたし、内容そのものが劇中劇とわかることで物語全体に救い、語弊を恐れずに言えば軽さが出たような気がします。原作を読んでいなければ引っ掛かりも無いものかもしれませんね。

後者については、2幕の冒頭で「この物語は劇中劇である」ことが暗示され始め、後半の先生のメタ発言により確信に変わります(そして、6分間の夢の世界へと続く!)幸人の書いた物語のノートを読んだ瑛子先生は、この物語を芝居にすることを提案しました。幸人自身は現実でない「お芝居」に嫌悪感がありますが、結局は先生の提案を受け入れます。

警官の靴の裏には葉が着いていないとダメだし、
お巡りさんは若くないとダメです
ミルクを持ってきたのはお母さんでした
もっと強く言って!(だっけ?)

でもなあ、いくらなんでも教員が、いち生徒の(かなり際どい)私情を挟んだ物語を「お芝居にしましょう」とか言うかあ?「証明はカーテンコールの後に」のくだりも含めて、瑛子先生の存在は実は一番“怪しい”です。台詞を信じるならば、語り部である瑛子先生そのもの、幸人そのものが、すべて虚構である可能性しか考えられないでしょう。どこからどこまでが芝居なのかを突き詰めて考えると、実は物語が1幕から劇中劇だったのではないだろうか(警官がわざと落ち葉を忘れて登場したのがまず怪しかった)とも思える要因です。登場人物がみんな役者、兼観客である説明もつく。でもちょっと、そうだとしたら夢がないね。苦笑



・原作と比較した個人的な解釈

1冊の本の内容を余すところなく3時間の公演に収めることはとても難しいことです。中でも、アスペルガーを抱えた(感情の表現と理解を示すことの困難な)主人公の人となりを表すのは困難だったのでしょう。例えば、幸人(クリストファー)は理詰めに生きておりますので、事実のみで判断をします。優しい父親が犬を殺した→僕も殺されるかもしれない、とは(父親がどれほどの愛情を幸人に与えていたかを知っている観客の、一般的な感覚からすれば)飛躍した考えにも思えますが、理屈としては正しいわけです。これを表したかったのがたぶん、瑛子先生が唐突に取り出したマーブルチョコレートの筒。

瑛子「幸人くん。(筒を振って)何が入ってると思う?」
幸人「マーブルチョコ」
瑛子「(笑顔で中身を取り出す)鉛筆よ。(もう一度仕舞って、振る)幸人くん。お父さんが中身を聞かれたら、なんて答えると思う?」
幸人「鉛筆!」
瑛子「……(肩を落とす)」

幸人にとっては、鉛筆の入った筒、という事実があるのみで、中身を知るはずの無い父親がこの場に来て中身を聞かれたら……という他人の感情、想い、考えを汲み取る能力の低さを表していました(という描写だったんだと思う。違うか?)(実はこの場面は原作にも登場します。ただし、クリストファーの小さいときの回想で、なぜそのように答えたかの理由として現在の彼は「小さいときは、ほかのひとにも頭脳があるということがわからなかったから」と分析します)原作では、他人が使う比喩や表情を読み取れないことが、ことさら強調されています。一応、舞台でも冒頭に幸人が黒板に絵を描きながら訴えておりました。

また、佐久間のおじさん(母親の不倫相手)が幸人に歩み寄ろうとして上手くいかず苛立つ、という原作に沿った描写も見られました。図書館で借りてきた児童向けの本や、知恵の輪を与えるわけですが、前者は「子ども向けだよ」と拒否、後者は数秒で外してしまう。善意で接する周りの大人の苛立ちと、幸人の天才ぶりを端的に表します。佐久間が外せずに言った「これが外せたら天才だぞ」からも明らかなように、幸人の思考は非常に大人に近いものがあり、賢いのです。それをあの森田さんが、知性面を、表現することは……なかなか難しかった(失礼極まりない!苦笑)ようでした。物語の後半には笑顔も見られ、病院勤務の友人は「症状が重いんだか軽いんだかわからなかった」と言っておりましたが、その点は否めないところです。



・6分間のショータイム

マイクを片手にスパンコールを纏い、軽快なステップで身体を動かす幸人はもう幸人じゃなくて、表情も3割くらい森田剛に戻っていました。間違わないで最後まで言いきれるかどうかのハラハラどきどき感は少年オカダのチャレンジ企画のごとし。バックに着く役者さん達の楽しそうな表情も印象的です。

1度目は3階席で、それでも楽しくてしょーがない夢の6分間だったのだけど、2度目は3メートルの目の前で幸人くんが踊っていまして、わけわからずほとんど思考停止していたと思います。コンサートでもこんな距離でしばらく踊っていただいたこと、無い……あの方の踊りはやっぱりすごくて、なんの気はない簡単なステップにすらとてつもなく惹き付けられて、むちゃくちゃ痩せこけてるとか、n4乗の辺りが危なかったとか、もう全然気にならなかったからね、というか目えきらきらしすぎじゃね?すごくね?(誉め言葉)黒髪で髭と装飾品の無い森田剛を間近に3時間拝見できたことは、自分の中では限りなく奇跡に近い。

屈折の無い澄んだ役柄が多いというのは、名だたる舞台人が彼にそれを求めるからであって、昔のきれっきれの彼からこうなるとはまったく想像つかなかった。足をバタバタさせて駄々をこねるとか、慈愛の表情で犬を抱きしめるとか、歌って踊るとか、それだけ聴けばただの女性向け舞台だけど、イケメンありきの女性向け舞台の世界をちょっとだけかじってみたこともある経験からすると、単なる「女性を喜ばせるためだけの毒にも薬にもならない芝居」には決して留まらない、力強さと可能性を感じる。あれはどういう意図があっての行動だったのだろう?と、こうして後から熟考できることも、また一興。


基本に沿った演出から学ぶものと、とびきりのサプライズを抱えたまま、幸せな帰路につきました。とにかく3時間、ずっと舞台上に出ずっぱりの役者さんたちに敬意。


「それって、僕は、なんでもできるってことじゃない?
 なんでもできるって、ことじゃない? 瑛子先生!
 なんでもできるって、ことじゃない?」


いやあ、私は大好きでしたよこのお芝居。静岡から西葛西までの一人旅を終えて成長した幸人が放つラストの台詞と、穏やかな微笑みとに、10代では到底表現しきらない(いや10代には10代でしか出せないみずみずしさ、魅力ももちろん、ある)言い様の無い安心感、成長ぶりが見られて本当に幸せだった。心の底からDVDになってくれないかなあ、壮大な歴史ロマンだけじゃないんだぞブイシックス、宇宙と数字にも似合っちゃうんだぞ、と、声を大にして言いたい!!!


宇宙飛行士になるのが夢(一人きりで狭い空間に何時間でも居られるし、機械にも詳しい)だったはずの幸人が、大学へ行って研究する夢(具体的かつ現実的、うまくすれば宇宙飛行士にも繋がる可能性あり)を語るラストは、ひょっとしたら、事件解決のため、あるいは母親の住所に辿り着くために、多くの「苦手な赤の他人」と関わり、両親や老婦人、瑛子先生、神父、佐久間、駅員、ホームから転落したところを助けてくれた人たちなどからの「善意と愛情」に触れ、事件を解決し旅を終えて「なんでもできる」と確信した幸人の、成長の証だったのかもしれません。



Q.E.D「証明、終了!」

黒板に白墨「おしまい」